Savon de
Marseille
本物のマルセイユ石鹸とはどのようなものでしょうか?
マルセイユ石鹸の歴史・フランス国王が守った製法と品質・保管方法などをご紹介します。
石鹸の起源
石鹸の歴史は古く、1世紀に書かれたプリニウスの博物誌には既に「石鹸はガリア人が髪を赤く染めるために発明したもので、獣脂と灰から作られる。最高級のものは、ブナの木灰とヤギの脂で作られる」と記されています。 中世には、十字軍が植物油脂を使った鹸化技術を中東より持ち帰りました。
マルセイユ石鹸
フランスのプロヴァンスには石鹸の原料となるオリーブオイル・カマルグの海塩・植物の灰に加え、古代からの港といった環境が整っており、早くから石鹸づくりに適していました。そのためマルセイユ周辺では石鹸工房が発達し、17世紀、マルセイユ石鹸はその品質が広く認められるようになります。
王の勅令(コルベール勅令)
当時、石鹸工房の中には、動物性油脂を混ぜたものを安価なマルセイユ石鹸として市場に出すところもありました。
マルセイユ石鹸の品質を守るため、国王ルイ14世が動きます。
1688年10月5日、国王の勅令(コルベール勅令)では、マルセイユ石鹸の製造基準を明確に定めています。この第3条によれば、マルセイユ石鹸は、「その製造において、ソーダまたは灰、そして純粋なオリーブオイルのみを使用すること。バターや他の油脂を使用したり混ぜたりしてはならない。これを遵守しない場合は製品を没収する」となっています。必ず大釜で加熱すること、6月・7月・8月は石鹸の製造を止めることも示されました。更に、第11条では「この勅令に違反するものは刑罰を受け、違反を繰り返した際にはプロヴァンスから追放となる」とあります。
マルセイユ石鹸として認められることが、顧客にとって安心の保証となったのです
オリーブオイルと石鹸の首都、サロン・ド・プロヴァンス
マルセイユに近く、何世紀も前からたわわに実るオリーブに囲まれた町、サロン・ド・プロヴァンスは、1559年を境に大きな経済発展を遂げることになります。この年にクラポンヌ運河が開通したことにより風車も増え、オリーブオイルがサロン・ド・プロヴァンスの重要産業となるのです。
豊富なオリーブオイルを活かし、住民たちはマルセイユ石鹸づくりを始めます。
19世紀に衛生学が普及すると、石鹸の需要は更に高まりました。
黄金期
1870年、厳冬のためプロヴァンス地方のオリーブの木が大量に被害を受けてしまいました。
そんな中、サロン・ド・プロヴァンスのオリーブは難を逃れ、オイルと石鹸産業におけるこの町の存在感はより強固なものとなりました。
1873年、サロン・ド・プロヴァンスに鉄道が開通したことで、この町の経済・商業活動は飛躍します。
町は豊かになり、劇場・野外音楽堂・競馬場・カフェなどが裕福な住民たちで賑わうようになります。
石鹸工房も経済発展の恩恵を受け、大きな工場も建つようになりました。
その発展ぶりは、1906年発行の町のパンフレットに「サロン・ド・プロヴァンスはオリーブオイルにおいてプロヴァンスの首都のような町であり、
市場の中核をなす。このような町はヨーロッパでは他にないだろう」と紹介される程でした。
停滞期
第一次世界大戦、そして生産設備を備えた他国企業の石鹸産業参入を受け、マルセイユ石鹸の栄華は陰り始めます。
第二次世界大戦を経た1950年代以降、洗濯機や粉末洗剤、特に合成洗剤が普及し始めるなど、生活様式の変化により、
マルセイユ石鹸は時代遅れとされてしまいます。
こうして石鹸工房は徐々に閉鎖され、現在ではごく少数の工房しか残っていません。
再生期―品質の良さが見直されて
20世紀以降、多くの石鹸工房が閉鎖された今、古くからこの製品の神髄をなす、「良質・天然であること」が、現代ではかつてないほど「新しい」こととなっています。 環境保護の取り組みも欠かせません。 着色料や保存料を使わず、植物性油脂のみを使用した本当のマルセイユ石鹸、つまりマリウス・ファーブル社が創業時から作り続けている石鹸は、地球に負担をかけずに快適な生活を送ろうとする消費者に再び高く評価されることとなり、今日に至ります。
マルセイユ石鹸ビッグバーの保存方法
マルセイユ石鹸は、切ってさえおけば年月が経っても使用可能です。
むしろ時間が経つほど植物油脂が凝縮され、より泡立つようになります。
年月とともに色や形が多少変わることがありますが、品質が劣化することはなく、肌への優しさも変わりません。
お手元に届いたマルセイユ石鹸ビッグバーは、早めに付属のワイヤーで切ってから高温多湿な場所を避けて保管してください。時間の経過とともに硬くなり、やがて切れなくなります。密封はせず、木箱での保管がお勧めです。